ビルダー紹介

橋本直紀    1969年 大阪生まれ
子供の頃から家族や友人など釣り人の多い環境に育ち、釣りをする事が当たり前のように育ちました。子供の頃から工作が好きだった私は小学校3年生のころ、テレビで見た、リールのついた竿がどうしてもほしく、裕福な家庭に育ったわけでもないので、グラスのソリッドに針金を曲げてガイドを作り、性能は定かでありませんがその竿が始めて自分で作った竿です。それからは市販の竿も持ち前の器用さで、ほとんどと言っていいほど原型を留めず改造しました。中学生の時には月刊フィッシング誌に掲載されたグラファイトの組み立て方が当時としては衝撃的な記事があり、さっそく近くの釣道具店で(後にそこでバイトをする事になる)低価格ですが本格的なロッドとして組み立てました。

ヘラブナ釣りをしてるときもそうでしたが握りの部分を自分の手に合うように巻きを変えたり着色したり、出費が少なくて釣りに大きく影響する浮きは孔雀の芯を削り出し塗装し、いろいろなサイズを自作たりと、とにかくもの作りが好きでした。小学生の時はすでにトップウォータープラグも自己流で作ってましたが、中学生の時にフロートチューブを購入し自転車や電車で野池のバス釣りに狂ったように行ってました。小学3年生でチューブの存在を知り、ようやく中学生で購入したわけですから、今思えばいかれてますよね。しかし最も凄い自作は発砲スチロールでボート作った事ですね!それも中学生の時にです!

練り餌溶ける微妙な変化も読み取れる繊細なヘラブナ釣り、ブームになりつつあったトラウト&バスルアー、潮を読む船釣り、直観と体力を必要とする磯釣り、そして徐々に日本のフィールドにマッチした釣り方が浸透しつつあるフライフィッシングを経験しながら、高校生時代は市内の釣道具店で接客による嗜好の広さや変化、数々釣りのタックルを学ぶ機会を得ました。

その後、家業の装飾金物製造業をするかたわら沢登りのような山岳渓流から当時はまだあまり着目されていない里川のフライフィッシングに明け暮れ、23歳から独学でバンブーロッド製作を開始し、スピニング、ベイト、そしてフライロッドを製作して友人たちに使ってもらいました。3,4年後から家業との兼業でしたがいくつかのショップのブランク製作の仕事をもらえるようになり、昼間は仕事、夜は竹削りとがむしゃらに製作に没頭してました。また、この頃社会問題化した長良川河口堰など釣りを取り巻く環境変化に注視するようになりました。

家業に転機が訪れて30歳にして専業ビルダーとして行く事を決意する。その後もOEMを中心にフライロッド、ブランクの製作に専念しつつ、近郊の渓流でのドライフライや当時一世を風靡していたウエットフライの釣り、タイイングに傾倒する。この30歳前後の数年は製作数的には限界レベルと言える年間150~180本前後のハンドプレーンをこなしていました。

32歳の時にロッドの性能と竹の特性の関係を本質的に追求するため第一級フィールドの北海道に移住し、現在に至ります。

Naoki Hashimoto

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